南方を訪ねて -エコロジスト熊楠、生誕の地を訪ねて-  

11月22日
本日は南方熊楠ゼミナールの開催日です。
7回目にして初めて生誕の地和歌山市での開催になります。

その前に
『南方を訪ねて -エコロジスト熊楠、生誕の地を訪ねて-』と題し、南方熊楠生誕の地「和歌山城下」を散策するエキスカーションを実施しました。
和歌山市立博物館の武内先生の案内で周ります。
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基調講演の講師を務めていただく中村敦夫先生もご参加。
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まずは、熊楠が通った雄小学校跡(湊紺屋町)です。
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熊楠の父が創業した南方酒造(現世界一統)
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お休みではありますが、あけていただきました。
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熊楠の弟常楠の孫である南方信雄氏より説明。
孫文が熊楠を訪ねたてきたのはこの場所(湊紺屋町)になります。
b0138370_19212318.jpg蔵の正面入り口の杉玉(酒林)

スギの葉(穂先)を集めてボール状にしたもの。
日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。
これは前年のもの。
今年は仕込み始めたところでまだ酒は出来上がっていません。

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世界一統がある場所は藩主になる前の吉宗の屋敷跡で、藩校跡でもあります。

1713年5代藩主吉宗によって創設され、当時は講堂と呼ばれたが、その後衰微した。1791年10代藩主治宝が再興し、藩校学習館を開校した。
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熊楠の生家(橋丁)付近b0138370_19214258.jpg近くには南方熊楠生誕地碑文があります。
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熊楠が育った家跡(寄合町)
熊楠によると、かなり大きな家で、この周辺いったいが南方家だったようです。
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熊楠が通った寺子屋:西嶋家跡(卜半町)
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姉垣内くまの家跡(福町)
和歌山市は昭和20年の空襲でかなり焼けましたが、姉くまの家も焼かれました。ここにも熊楠の標本類がかなり残っていたらしいのですが、燃えてしまったそうです。
幸いにも南方家にあったものは、常楠によりかなり田辺に送られていたので、焼失をまぬがれました。
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中井芳楠の生家跡(東鍛冶屋町)
このあたりにあったそうです。
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孫文が泊まった富士屋旅館跡(本町三丁目)
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紀陽銀行本店
正面の4つのレリーフは、顕彰館の収蔵庫にある南方熊楠胸像と同じく、故保田龍門氏の手による。
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父が出資し、兄が勤めた四十三銀行跡(十一番丁)
四十三銀行は昭和5年8月、紀伊貯蓄銀行(現紀陽銀行)、紀陽銀行、三十四銀行(現三菱東京UFJ銀行)、大同銀行(現三菱東京UFJ銀行)、田辺銀行(現紀陽銀行)、六十八銀行(現南都銀行)の6行に分割買収されます。
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和歌山新報社跡(十番丁)
現在は三菱東京UFJ銀行、三菱UFJ信託銀行、三菱UFJ証券が入るビルが建っています。
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埋め立てが問題となった和歌山城東堀
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鳥山啓宿舎跡(一番丁)
和歌山中学に入学してからは、熊楠は田辺出身の鳥山啓の薫陶を受けて、博物学の才能を伸ばしていきました。
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b0138370_1923292.jpg和歌山城
紀州徳川家の居城。
明治4年には廃城令により廃城となり、多くの建造物が解体もしくは移築されました。それでも昭和10年には天守など11棟が国宝に指定されました。昭和20年7月9日アメリカ軍による空襲で国宝指定建築物は全て焼失。
二の丸御殿は、明治18年に大坂城へ移築され、昭和6年より大阪市迎賓館(紀州御殿)として使用されていました。幸いにも戦火による焼失はまぬがれましたが、戦後米軍施設として使用中昭和22年失火により焼失しました。

熊楠はもちろん焼失前の和歌山城しか見ていません。

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熊楠の同級生天方の屋敷(北汀丁)
b0138370_19231945.jpg岡崎(長坂)邦輔の屋敷跡(南汀丁)
岡崎邦輔は陸奥宗光の従兄弟で政治家。
熊楠はアンナーバーで禁酒をめぐり、岡崎を攻撃しています。

『珍事評論』は南方熊楠が編集、執筆のいっさいを執り仕切って書き上げた一部きりの個人新聞で、アンナーバーの日本人仲間に回覧されたものです。この『珍事評論』発刊の直接の目的はアンナーバーの日本人留学生社会を牛耳ろうとしていた長坂(岡崎)邦輔一派を糾弾することにあったと見てよいだろうとは松居竜五氏の言。

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木梨医院跡(小人町南丁)
杉村楚人冠の母の実家で、喜多幅武三郎の下宿先。
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和漢三才図会を借りた岩井屋 津村多賀三郎の家があった付近(久保町一丁目)
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漢学の師 倉田績が勤めた水門吹上神社(小野町二丁目)


和歌山城も散策する予定でしたが、かなりおしまして、ショートカットしました。

※主催は南方熊楠ゼミナール実行委員会(南方熊楠記念館・南方熊楠顕彰館)

【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2009-11-25 23:09 | 展示・イベント

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