引作の大クス
2009年 12月 26日
かなり前の話ですが、三重県南牟婁郡御浜町の「引作の大クス」を見に行きました。
情報収集能力が高い方はご存じかと思いますが、この大クスの大枝を御浜町(古川弘典町長)からご寄贈していただけるとのことで見に行ったわけです。
先日(25日)、受け入れ、地元紙に掲載されたので、こちらでも紹介します。
引作の大クスとはクマグスの言う「阿田和の大樟」のことです。
まず御浜町について
御浜町は三重県南牟婁郡に位置します。
かつては紀州藩で、その地域は北牟婁郡とともに東紀州とも呼ばれています。
明治22年阿田和、柿原、引作の三村が合併し阿田和村(S8町制)が誕生、昭和33年阿田和町、神志山村、市木尾呂志村の合併で御浜町が誕生。現在、熊野市との合併が持ち上がっているようです。
そういうわけで熊楠の当時は引作は阿田和村だったので、「阿田和の大樟」でも問題ないわけで。
綺麗な建物。
市よりも町村の庁舎の方が新しいと思うのは私だけでしょうか?
田辺市も、合併した町村の中で、旧田辺市の庁舎が一番ボロイ。
写真で見るよりも実物を見る方がはるかに大きい。
三重県の天然記念物で、「引作の大楠」と書いておりますが、登録が「引作の大クス」となっていますので、そちらに倣います。
折れた箇所
今年9月10(木)放送の「堂本剛の正直しんどい」(テレビ朝日)で堂本剛とキングコングの西野亮廣が来てました。
折れたのは平成19年9月で、根もとから4.4mのところで5本に枝分かれしている枝のうち、東に張り出した枝。
折れたときの撤去作業の様子はこちら
撤去作業を請け負った業者さんのブログです。
・大クス倒幹撤去作業
・大クス剪定、その他
・大クス剪定完了
大枝の一部を使ったテーブルも近くにありました。
あっ、そうそう熊楠との関わりを紹介するの忘れてました。
「引作の大クス」のある引作神社は、政府の神社合祀政策により、阿田和神社に合祀され、楠は3千円で売却、伐採されることになりました。
明治43年暮れに合祀され(現在復社)、翌年にはすぐに伐採にとりかかったようで、杉の巨木が伐られ、次は楠という段になって、楠を惜しむ声が持ち上がりました。
大クスを惜しむなかに、牟婁新報新宮支局の記者がおり、関係者を訪ね保存を訴えたが、説き伏せることができなかった。
そこで明治44年6月27日付けの牟婁新報で、希世の大樟樹の危機を伝え、「天下の志士よ、願くは、起って此の大樟樹保護につくす盡されよ、時は今成」と訴えます。
それに呼応したのが熊楠で、当時国の官僚であった柳田國男と東京朝日新聞の杉村楚人冠(広太郎)に保護を依頼します。そして、伐採を免れるわけです。
この「引作の大クス」は、継桜王子の「野中の一方杉」とともに、熊楠が守ったシンボリックな巨樹で、南方熊楠顕彰館で展示、紹介する予定です。
朝スムーズにつきましたので若干時間に余裕がありました。
七里御浜に出てみると、遠くに座礁したフェリーが。。。。
早速見に行きました。
座礁したフェリー「ありあけ」
7,910トン 全長166.9m 全幅22.8m
今もそのままあるようです。
【くまちゃん】
by kumagusu-m | 2009-12-26 17:27 | 視察