野口利太郎展のみどころ  

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6月5日~7月4日まで
「第26回月例展 南方熊楠とゆかりの人びと 第9回 野口利太郎」
を開催します。

野口は熊楠の信頼があつく、熊楠没後も遺族の面倒をよくみました。また、熊楠の記念館建設を熱望して奔走した人物です。

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【野口所蔵 河東碧梧桐短冊】

河東碧梧桐は熊楠の同級生正岡子規の高弟。
碧梧桐が明治44年全国巡遊途次田辺を訪れました。野口は御坊で碧梧桐を出迎えます。

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【日記 明治44年】

田辺滞在中、碧梧桐は毛利柴庵に連れられ熊楠を訪ねます。
そこで、歓談するのですが、碧梧桐は熊楠に請われるまま熊楠の日記に俳句を記します。

木蓮が蘇鉄の側に咲く所

これが、両者の交流の始まりです。

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【行幸記念団扇】
昭和4年天皇陛下へのご進講の折、表には川島草堂の手による介(貝)品図と熊野五景図、裏に碧梧桐の句を印刷した2組10枚が献上されました。翌年神島に記念碑を建立した際、同様のものを作成し、関係者に配りました。

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【野口宛野長瀬晩花書簡】
野口は画家との交流もありました。近露(現田辺市中辺路町)出身の野長瀬晩花とも交流があり、手紙からは晩花にとって野口がどんな存在だったのかが窺えます。
また、晩花は野口に「石」を譲ってもらい、そのお礼を述べています。その石とは「古谷石」のことだと思われます。

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【野口利太郎来簡】
熊楠に宛てた野口利太郎の書簡です。顕彰館に残る唯一の野口来簡です。

野口は昭和51年地方文化の分野で第7回田辺市文化賞を受賞しています。
その際の資料を見ると(M・Sさんありがとう!)、野口は古谷石研究家としても紹介され、昭和10年11月東都日本橋三越で古谷石展覧会を開催しています。
この来簡なんと、昭和10年11月15日付で東京から出しているんです。
東京での出来事を熊楠に報告しています。(東京では晩花とも会っています。)
M・Sさんの資料がなければ、なぜ野口が東京から手紙を出しているのか分かりませんでした。

b0138370_194767.jpg 【古谷石】
熊楠が植物研究の協力者、大江喜一郎の娘が結婚する際に贈ったもの。
野口とは直接関係なさそうなんですが、古谷石を紹介するため今回展示します。



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【野口利太郎色紙】
野口は俳句から短歌に転向、昭和27年に田辺アララギ会を創立結成。
左は「南方記念館たてよと鳶はなくのでせう・・・・・」の歌
右は白浜の天皇歌碑建立の際に詠んだ歌

※野口の熱望した記念館は南方熊楠顕彰館として南方熊楠邸の隣に平成18年5月にオープンしています。

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【鳥山啓の短冊】
鳥山啓は田辺出身で、和歌山中学校時代の熊楠の恩師。熊楠も鳥山啓の短冊を持っていましたが、こちらは野口所蔵のもの。

期間中、説明会も行いますので、是非南方熊楠顕彰館へお越し下さい。
詳細はこちら




【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2010-06-01 19:32 | 関連展示・イベント

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