F・V・ディキンズ書簡英文翻刻・邦訳集  

『F・V・ディキンズ書簡英文翻刻・邦訳集 アーネスト・サトウ 南方熊楠(他)宛』が刊行されました。

ディキンズ Frederic Victor Dickins, 1839-1915
 フレデリック・ヴィクター・ディキンズは、若くして日本に滞在した経験を持つ人物であった。ロンドン大学を卒業後、二十二歳の時に英国海軍軍医将校として中国、日本に赴き、法廷弁護士としての仕事もしていたらしい。この時、英国公使のハリー・パークスの下で日本政府との交渉に尽力したおかげで、帰国後はパークスの推薦によってロンドン大学の事務総長となったのであった。その間、日本文学の研究を進め、英訳『百人一首』などを発表している。

 ディキンズが熊楠にはじめて手紙を出したのは一八九六年三月、ディキンズ五十七歳、熊楠は二十八歳の時のことである。目黒大仏の写真についての解説を求めたこの手紙には、ディキンズが「幕府の時代から日本に滞在した者として」、熊楠の『ネイチャー』誌での活躍を喜んでいる旨が記されている。

 この後、二人は文通を通して次第に親しくなり、ロンドン大学で面会したりするようになっていったようである。そうした交際の中で、ディキンズは熊楠から日本の文化・風習について矢継ぎ早に質問を繰り返し、多くの知識を吸収しようとした。一方、熊楠は熊楠で、生活面でディキンズの補助を受け、しばしば金を借りていたのであった。要するに、この時期、功なり名遂げたディキンズは、若き東洋人学者の経済的な庇護者だったということができるだろう。

 歳の差を越えて無二の親友となったディキンズと熊楠は、以後、協力してさまざまな仕事を残していく。とくに、1903年のディキンズの "Primitive and Medieval Japanese Text"(『日本古文篇』)は、出版前に熊楠がほぼすべての訳をチェックしたもので、共著と呼んでも差し支えないだろう。さらに、1905年の『方丈記』訳である "Japanese Thoreau of the Twelfth Century" などでは、熊楠を共訳者として自分より先に名を記すことさえ許している。

 ディキンズがいかに熊楠の人物を認め、敬意を払っていたかということは、1906年の熊楠の結婚後に、ダイヤの指輪とともに送られた次の献辞を読めば明らかであろう。

 私の知るもっとも卓越した日本人への賛辞を込めてこの指輪を贈ると、君の妻に伝えてください。君は伯爵でも男爵でもないけれど(あえて言えば君はそんなものにはなりたくもないだろうね)、君のような友人を持てたことは、ここ何年かの間、常に私にとって大きな喜びであり、また利益でした。君は東洋と西洋に関するかくも深い学識を持ち、人間世界と物質世界の率直で公平でしかも私心のない観察者です。(未公刊書簡、1908年1月8日付)

 ディキンズはまた、手紙の中で、この指輪にかかる税金のことまで心配して、自分が払うからいくらかかったか、あとから教えてほしいとまで申し出ている。

 おそらく当時の日本人と西洋人の間で、これほど親密でまた実りのある交際をしたものは稀(まれ)であろう。ディキンズとの交遊は、熊楠がロンドンで得たもっとも貴重なものの一つであるといってもまちがいないはずである。〔松居 竜五〕
『南方熊楠を知る事典』より


編集・解説
岩上はる子 
ピーター・コーニッキ

発行
(有)エディション・シナプス
定価:24,800+税
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by kumagusu-m | 2011-07-24 12:42 | 書籍 | Comments(0)

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