フォトコン用マップ① 吉野熊野国立公園  

フォトコン用のマップを作成していきます。
撮影禁止の場所では撮影しないでください。

まずは、吉野熊野国立公園で拡張される地域及び近郊で熊楠が日記、「南方二書」で言及している場所
◯田辺市
ひき岩群

2015.9.11現在、稲成から秋津に抜ける路が通行止めとなっておりますので、ご注意ください。
北入口には秋津側からしか行けません。

動鳴気(どうめき)

岩口池ばかりではなく、峡谷の方もよろしくお願いいたします。

鳥の巣

泥岩岩脈でなくても結構です。
ここからが神島に一番近いです。

◯白浜町
綱不知(つなしらず)

今は埋め立てられていますが、熊楠は植物採集をしています。
『白浜温泉史』(昭和36.白浜町役場観光課)によると、田辺からの汽船は初め大浜-江津良(えづら)、大正末に大浜-綱不知に変更、昭和2年に文里(もり)-綱不知と移ったとのことです。
もちろん昭和4年に昭和天皇がが上陸されたのも綱不知です。

塔島

熊楠は「戸島」と日記に書いています。

円月島

熊楠のいう「眼鏡岩」「眼鏡島」です。
穴に夕陽が入ってなくても大丈夫です(笑)。

権現崎


御船山、熊野三所神社

昭和天皇が紀南行幸のさいお乗りになった御座船もあります。

白良浜

熊楠は日記に「シラヽノ浜」「シララ浜」と書いています。
熊楠の当時は瀬戸鉛山(せとかなやま)村で、昭和15年に白浜町になります。
白浜町の名前はつい最近ですが、白良浜は平安時代の歌謡にもよくでてくるとのことです。

ついでに先ほどの『白浜温泉史』のよると、大正8年に開発に乗り出した会社の名前を決める際、「新湯崎温泉土地会社」(湯崎は鉛山地区)という案が出ていた。しかしその会社が経営する土地の多くはの瀬戸地区にあり、もちろん所有者も瀬戸の人だった。瀬戸と鉛山は温泉の所有権をめぐり長い間争っていたので、当時もシコリが残っていた。そのため「新湯崎」は廃案となり、「白良浜温泉土地」という社名にした。
「白良浜」では長い気がするので、熊楠の後輩である杉村楚人冠が経営地に雅名をつけに来たとき「白良(しらら)」の案が出た。
ところが当時大々的に白良浜温泉の宣伝をしていた大阪商船(現商船三井)の庶務課長が独自に「白浜」を使った。これが浸透して、「白良浜温泉土地」も「白浜温泉土地」と社名を改めた。一般的に「白浜」が使われるようになり国鉄(現JR西日本)の駅も昭和8年に「白浜口駅(現白浜駅)」として開業した。それが、昭和15年に町名にまでなった。
面白い話ですね。

崎の湯

ヌード写真は遠慮します。

千畳敷


三段壁


長浜


椿温泉

熊楠が宿泊した辻氏宿は元湯椿楼ですが、2008年に閉鎖されています。
熊楠は船で訪れており、当時は海側に玄関がありました。
帰りは朝来帰(あさらぎ)を通り陸路で帰っています。

すさみ町
稲積島





【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2015-09-11 19:18 | 展示・イベント

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