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兵生  

2014年1月24日
 田辺市中辺路町兵生の調査に行ってきました。
 「ひょうぜい」ですが、「ひょうぜ」という場合もあります。

 兵生は富田川の最上流にあった集落で、明治22年までは、戸数35戸、150人ほどの村で、その後二川村となり、昭和21年に中辺路町となりました。昭和49年には過疎化のため集団移住し、今は誰も住んでいません。

 熊楠は明治43年と昭和4年の2回この兵生を訪れています。

 昭和4年は門弟の小畔四郎の採集につきあっただけで、2泊3日で引き揚げていますが、明治43年は11月13日から12月24日まで長期に渡って滞在し、植物採集をしました。
 小畔には「坂泰官林の近くに人家は一軒もない。一里半か二里ほど下流に集落はあるが旅客を泊めるような家は一軒もない」と手紙を書き、明治期に宿泊した西氏宅を紹介しています。熊楠が西氏方に泊まるようになったのは、採集に当たり手引きしてくれた西面(にしお)欽一郎氏の奥さんの実家であったためで、明治43年の採集では、西氏宅に一泊した後、さらに山中深く入り、安堵山のふもとの野川原にあった鈴木製板所の一隅を借りています。

 兵生での熊楠の収穫は熊野丁字ごけをはじめ、粘菌、菌など予想以上のものでしたが、民俗、風習、伝説などでも得るところが多く、後年柳田國男に。『遠野物語』に似せた『兵生物語』を書いて世話になった家へ残してきた、と述べていますが、この『兵生物語』は今日所在がわかりません。

〇南方熊楠日記3(八坂書房より)   
明治43(1910)年
11月13日(日)晴
西面氏と共に立出、・・・予は西面氏と共にすゝみ、つり橋渡るに西面氏予の手引てくれる。兵生に至るに大崩れ辺陰悪呆るゝ斗り也。村に入り一家にて粥食せもらひ、西氏宅に往ば黄昏也。夜西氏来話す。入湯後臥す。
西氏座敷の床の間棚に、天照大神、八幡、春日三神の像及辞、予の舅田村宗造氏筆也。
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中央右寄りに地下とありますが、ここが西氏の家のあった西垣内地区です。
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西垣内地区
この一軒だけが家屋の形をとどめています。
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時の流れに逆らえず朽ち果てた家
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五右衛門風呂
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家の基礎らしきものは各所に残っていますが、移住する際に植えたとされる杉の木が伸びています。
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少し離れたところにある兵生春日神社
集団移住して誰も住まなくなってからも、大事に祀られています。
中辺路町誌によると、熊野の西氏は清和源氏武田氏の流と伝わっているようで、大塔の宮熊野落ちのとき案内にたったとのことです。

11月14日(月)晴
朝九時頃西氏を出、西面氏と出張所にゆく。予一人近所の谷を歩み菌苔蘚少し採る。
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鈴木製板所方面
この先、工事中で通行止めでした。

11月15日(火)半晴、夜雨
ギボン羅馬史を読む。

11月17日(木)雨、午後霰雪少しふる
終日在寓、標品整理。・・・夜ギボン読む。コンスタンチン帝一統に至る。

兵生滞在中、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をよく読んでいたようです。

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『ローマ帝国衰亡史』
The history of the decline and fall of the Roman Empire
洋231.02
表紙がボロボロです。
もちろん熊楠の蔵書です。
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中はそこそこ綺麗です。

11月21日(月)快 暖
朝七時過起、九時半頃寓を出、伊藤半兵衛といふ杣人案内にて安堵峯に登る。絶頂に登り、飯くひ、右の老人一寸一睡の間予歩きまはる。
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安堵山
頂上は植林されていません。
果無山脈を構成する山です。中央下のすじは広域基幹林道龍神本宮線。
実は安堵山は果無山脈最高峰の冷水山とともに奈良県十津川村です。
普通は果無山脈の尾根づたいに県境がありそうなものですが。。。

柳田国男宛書簡 (明治44年4月22日付)
(前略)
西牟婁郡兵生(二川村の大字、ここに当国第一の難所安堵が峰あり、護良親王ここまで逃げのびたまい安堵せるゆえ安堵が峰という、と)、ここにて聞きしに、むかし数人あり、爐辺におりしに、畏ろしさに耐えずみな去り、一人のみ残る。婆来たり、米三升炊げ、という。よって炊ぐうち、熊野道者来たりければ、右の婆大いに惧れ去る。道者右の人を導き安全の所に至らしめ、右の婆は山婆にて米炊ぎ上がった上、汝を飯にそえて食わんとて来たりしなり。われは熊野権現、汝を助くるなりとて去りしという。この話、朦朧として分からねど、かかる話、他国にもあるよう記臆致し候。
 この安堵が峰にいろいろの談あり。みな些断のものに候。兵生の松若とて、生きながら山に入って今に死せぬもののことを伝う。その宅址という地もあり。松若、少小より山中に入り、鹿などをとり生食す。身に松脂をぬり、兵刃荆棘傷つくること能わず、ついに山に入って家に帰らず。人山を行って薯蕷が何の苦もなく地より深く抜き去られたるを見て、その存在を知る。最後に山に入るとき、「もし大事あらば多人数大声にわれを呼べ、われまさに千人の力をもって援助すべし」とのことなり。あるいは言う、有田郡に小松弥助とて平維盛の裔あり。松若その家に遊べり、と(この間非常の深山重畳せり)。明治十二年ごろ、当郡富田村のシャ川という所の僧、兵生にゆき、村社に籠り七日断食し、時々生瓜などを食らうのみ。さて、われ今日松若を招かんとて安堵が峰を望み、「松若やーい」と呼び、村民一同これに和して呼ぶ。婦女、小児は、松若来たるとておそれ、戸を閉じて出でず。件の僧、安堵が峰に今松若現われたり、それそれそこに見えるなどいう。終日呼べども、終に下り来たらず。僧、悲憤、村に帰り死せりという。そのとき大呼せし人、今も存せり。
 『南方熊楠全集 8』(平凡社)より       
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熊楠が飯を食ったという安堵山頂上

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上の2枚の写真は、以前撮影したものです。
今は工事中で兵生から安堵山(龍神本宮線)には行けません。
もともと、安堵山には龍神からの方がアクセスしやすいです。
冬季は通行止めにご注意。

11月26日(土)晴
朝菌二種画く。十二時後、松本勝と山を踰え坂泰官林に居る。西面氏後れ到る。其より山続きに丹生川に趣く。道甚危ふし。途上別に得る所なし。松本氏鼯鼠(むささび)一疋打とる。其尸杉幹穴中に陥りとり出すこと不成。着すれば昏し。入湯の上、西面氏叔父方に宿す。松本氏より野猪肉もらひ食ふ。

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坂泰山国有林の入口です。

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全て植林されているのかと思ったら、かなり自然林が残っています。

11月27日(日)晴
朝飯後西面氏一族と丹生川神社合祀跡の祠を見る。それより西面氏父方にゆき小談し、宿所へ帰り、午飯後、松本、西面、鈴木三氏と生兵製板所へ帰る。途上松本氏サルスベリの木に上り、昨日所銃の鼯鼠取る。坂泰の谷間にて粘菌類等多少とる。

12月10日(土)晴 夜雪
十二時過より鈴木氏と千畳谷に之く。入口より同氏は去る。予晩く迄探し歩き、遂に樅の枯株より熊野丁子蘚六個迄見出す。鈴木氏の咳声をきゝ之に応じ、鈴木氏来る。(是迄同氏柳桜と云所にて丁子蘚捜せしも無りし也。)千畳谷
千畳谷はたぶん千丈谷のこと。
千丈山はありますが、千丈谷は地図上になく、どこの谷かは分かりません。
クマノチョウジゴケは学名をBuxbaumia minakatae Okam. といいます。
キセルゴケ科の蘚です。
minakataeとあるように、発見者である「南方」の名前が入っています。
Okamは岡村周諦です。

1908年12月1日(火) 晴
朝八時頃武住の大黒屋出立、大瀬にてナガエノアヲツヾラフヂを見る。茎如此まきあり。又八丈シダとる。平井川谷にて、前田富蔵四五人つれ田辺より来るにあふ。帽菌二三、粘菌二三とる。朽幹の僵れたるに附るBuxbaumia少々・・・

1910年5月9日(月) 晴
夕岡村周諦氏ハガキ一受。予一昨年十二月一日野中村拾ひ子谷所集蘚新種にBuxbaumia Minakatae Shu. Okam.と命名、近日植物学雑誌で披露の由申来る。北米産B. Piperi Best.に最近き由、又本品は既知種に比して柄甚短く、胞子は既知の最も大なるものゝ二倍以上も有之候云々。

平井川谷、拾い子谷は地図上にありません。

12月11日(日)晴、雪積り氷柱多し、夜大風
夕滝尾谷南側の山腹等を歩む。丁子蘚二顆を得、前後是で十一となる。此如く細き蘚に実少々つけるをとる。夜臥内ギボンを読。

12月12日(月)雪
朝七時頃鈴木達三氏秋津へ帰らんと拵える内大雪、終日多少ふり止まず。
三時過より滝尾谷を上る。途上熊野丁子蘚一とる。是にて十二顆也。

12月15日(木)快 暖
朝十時過起く。十二時より西面氏弟導氏に案内され千石谷に遊ぶ。氏は道中より帰る。

12月18日(日)快 暖
朝十時過起き、午後カドの谷にゆき熊野丁子蘚一つ見出す。それより谷を出、滝尾の上の木小屋迄ゆく。帰れば黄昏也。

12月19日(月)晴
午下起く。午後安堵谷にゆき、紅カヤランを捜すに少々得、又丁子蘚一つ得、是にて十四箇也。

12月21日(水)陰
朝獾(あなぐま)の肉食ふ。
松本勝来る。午後共に滝尾谷を歩し、道作りくれ同人は去る。予丁子蘚多く見出し、西面氏弟呼び、共に四十六箇とる。西面妻君も来り見る。前日来とりし処と合して六十箇也。

12月24日(土)晴
荷物片付け西氏へゆく。

12月25日(日) 
此日西氏方に臥す。夕(?)三人来り話す。予は咳気に当りしならんといふ。

12月26日(月) 
朝西面氏、津本氏二人と西氏宅を出立、福定より大川に出、ハリカネ橋を二人予の前後になり手をひきてわたる。栗栖川に至る前、津本氏は他へとまり、予は西面氏と紅葉屋に宿す。


最後に兵生の様子を
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小串にある小督司を祀る小祠
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かつてのご神木でしょうか立派なクスノキ?がありました。
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棚田もしくは段々畑に植わる杉
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兵生分校
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朽ち果てた百葉箱
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これもかつて校庭だったことを物語っているタイヤ
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おっ明星のyoung song!!
しかも表紙はジュリー

※所有者がいますので、マナーを守りましょう。
落書きしたり、ゴミを捨てたり、家財道具を持ち去ったりするのはもってのほかです。

第38回月例展 熊楠とゆかりの人びと第21回 西面欽一郎・賢輔兄弟
会期:平成26年2月8日(土)~3月16日(日)

で、この調査の成果は出るのか?
乞うご期待!!



【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2014-01-30 11:34 | ゆかりの地 | Comments(0)

「BS朝日 ボクらの地球 熊野古道から神々の森へ 知の巨人・南方熊楠の足跡を追って」再放送!!  

「BS朝日 ボクらの地球 熊野古道から神々の森へ 知の巨人・南方熊楠の足跡を追って」再放送のお知らせ

2013年11月21日に放送された「BS朝日 ボクらの地球 熊野古道から神々の森へ 知の巨人・南方熊楠の足跡を追って」が再放送されます。
本日ようやくインターネットの番組表に載りました。

放送日:2014年1月23日(木) 19:00~20:54

本放送を見逃した方は是非ご覧ください。

番組ホームページはこちら
youtubeの番組宣伝はこちら
取材の様子はこちら



【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2014-01-16 16:26 | お知らせ | Comments(0)

南方邸 庭の様子  

寒さが厳しいですね。

南方邸の庭の様子をお届けします。
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スイセン
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スイセン(八重)
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南方邸母屋
左にナツミカンの老木があるのですが、
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今年は豊作です。
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マンリョウ
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サザンカ
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ウメ

南方邸のウメは早くに咲き出すのですが、今年は梅の開花が遅いです。


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by kumagusu-m | 2014-01-16 13:17 | 南方邸 | Comments(0)

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猫楠他 (水木しげる漫画大全集)

水木 しげる / 講談社

2013年6月から刊行されている『水木しげる漫画大全集』ですが、2014年1月はいよいよ『猫楠他』です。

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とのこと。

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by kumagusu-m | 2014-01-12 10:41 | 書籍 | Comments(0)