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誕生日  

熊楠は慶応3年4月15日に生まれました。
かなり減ってきましたが、それをもって4月15日が誕生日だという方が未だにいます。

熊楠が生まれたときは旧暦(明治6年以降新暦)なので、今の4月15日とは全く異なります。
現在の暦(新暦)はグレゴリオ歴なので、新暦では1867年5月18日が誕生日です。

厳密には当時は天保歴で、現在使われている旧暦とは若干異なるらしいのですが、細かいところは置いといて、旧暦の4月15日は、今年は何月何日にあたるでしょう?

今年は6月1日が旧暦の4月15日です。
熊楠が昭和天皇にご進講を行った日ですね。
ちなみに来年は5月21日が旧暦の4月15日にあたります。
このように旧暦は毎年毎年変わります。

熊楠は、慶應生まれなので旧暦というのはすぐに分かりますが、明治6年からが新暦だということはあまり知られていません。
これが年末の生まれだとさらに大変です。
1年ずれるおそれがあります。

田山花袋は明治4年12月13日生まれです。
明治4年=1871年と換算し、1871年12月13日生まれとしてしまうと1年間違うことになります。
このときはまだ旧暦なので、新暦にすると1872年1月22日生まれとなります。
ご用心、ご用心。







【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2015-04-16 10:45 | その他

レプリカ作成  

普段展示したり、貸し出したりするため、数点レプリカを作成しました。
履歴書と南方二書のレプリカを紹介します。
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履歴書です。
南方植物研究所設立のため日本郵船株式会社大阪支店副長の矢吹義男に宛てた手紙です。自己の反省をつづっており「履歴書」と呼ばれています。
どちらが本物でしょう?

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南方二書です。
東京大学教授の松村任三に宛てた2通の手紙で、内容は神社合祀の反対です。
仲介をした柳田國男により活字化され『南方二書』として有識者に配られました。
明治44年8月29日と、31日付けですが、29日付けの手紙は16枚に切られていました。今回レプリカは全部つなげて元通りにしました。
ちなみに赤字は柳田の校正です。





【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2014-08-30 14:19 | 資料

田辺祭・闘鶏神社  

田辺祭は450年余の歴史を持つ闘鶏神社の例祭で、毎年7月24日、25日に行われます。
この祭は、旧城下の各商人町から8基の「おかさ」と言われる、京都の衹園祭のような笠鉾が町中を練り歩く、田辺を代表する紀南地方最大の祭礼です。

ご存じの通り、熊楠の妻松枝の父田村宗造が宮司を務めた神社です。
また、源平合戦の時、熊野水軍が紅白の鶏合せにより源平どちらにつくか占った神社といわれ、その故事から、明治維新まで新熊野鶏合権現と称し、後に闘鶏神社と改称されました。

熊楠の日記を拾ってみましょう。
明治43(1910)年の日記です。
ちなみに、田村宗造は前年に死去しています。

明治43年7月25日 [月] 晴
午下起く。午後松枝ヒキ六下女浜へお傘見に之、予留守番す。夜南新町より海蔵寺町を経、湊通りより闘鶏社に之、祭を見る。それより旧宅に帰る。而して又出、今福町より南新町に之、江川等のお傘帰るを見る。それより油岩に之、ビール飲。十一時過喜之瓢帰りおそき故、社道迄見に之。喜之瓢、ナラ公、イサ公狐に蠱せられし如き風にて荷車尋ねおる。因てナラ公と共に探るに、喜之瓢之を鈴木融氏近所にて見出し呼はる。因てナラ公(荷車ひく)共に油岩に之、帰る。それより新宅に之、臥す。三時頃なり。

熊楠も祭りを見に行っていたんですね。
南方邸に残っていた写真を紹介します。現在は顕彰館の収蔵庫に保管しています。
今のところいつ採ったのか、はたまたもらったのか分かりませんが、かなり昔の写真です。
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どこの通りかさっぱりわかりません。
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闘鶏神社馬場
闘鶏神社の鳥居が木製です。
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南新町
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本町
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福路町?
福路町のお笠は日本武尊で、現在は2代目。
これが初代?
福路町の方情報求む。
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栄町
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片町?
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江川町
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【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2014-07-25 12:28 | ゆかりの地

再テスト&備忘録  

現在顕彰会関係では
南方熊楠顕彰館ホームページ
南方熊楠顕彰会ホームページ
南方熊楠顕彰会スタッフブログ
南方熊楠顕彰会facebookページ
南方熊楠google+(個人アカウント)
南方熊楠顕彰会google+ページ
南方熊楠顕彰館google+ページ
南方熊楠顕彰館(南方熊楠顕彰会)google+ページ
南方熊楠顕彰会twitter
があります。


①は南方熊楠顕彰館公式のホームページでメインです。
②は顕彰館を運営する南方熊楠顕彰会のホームページで、サントリー地域文化賞を受賞する際、「南方熊楠顕彰会って何?」と思われたら悪いので作りました。①がPDFに対応していないので、こちらにPDFをUPし、①からリンクを貼っています。①のメニューにある「ゆかりの地」もこちらにUPしています。
③は顕彰会のスタッフブログです。
④は顕彰会のfacebookページです。
google+の⑤~⑧はほとんど動いていません。
⑧は⑦と重複しているので削除依頼中です。
⑥もいらないといえばいらないのですが。。。。

①②は独立
③から④、④から⑨に飛ばしていましたが、google+にも飛ばすようにしました。
③から④へはRSS Graffitiでしたが、google+には使えないようなので、HootSuiteを導入。④のfacebookページのRSSを読み込むようにしましたが、文字化けが。。。。。
仕方ないので、③のブログから⑤⑦⑧へ飛ばすようにしています。でもタイトルだけしか飛んでないような気が。。。。。
あと、スマホからはeverypostで④~⑧へ同時投稿するようにしました。

③ブログ→④facebookページ→⑨twitter
    →⑥顕彰会google+ページ
    →⑦顕彰館google+ページ

④スマホ→④facebookページ→⑨twitter
    →⑤南方熊楠google+
    →⑦顕彰館google+ページ
の流れになります。




【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2014-07-03 01:34 | その他

テスト  

基本的にブログからfacebookページ→twitterと情報を流していますが、エキサイトブログの広告が勝手にfacebookページ→twitterと流れていたため、対処しました。
広告が流れれば失敗です。。。。。
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by kumagusu-m | 2014-07-02 13:20 | お知らせ

サンティアゴ・デ・コンポステーラと熊楠  

田辺市とサンティアゴ・デ・コンポステーラ市(スペインガリシア州)の観光交流協定の調印式が13日、サンティアゴ市庁舎で行われました。
サンティアゴ巡礼道は1993年、熊野古道(紀伊山地の霊場と参詣道)は2004年に世界遺産に登録され、和歌山県とガリシア州は98年に姉妹道提携をしています。

さて、サンティアゴ巡礼道と熊野古道この2つの古道を大正時代に比較した人物がいます。何を隠そう我らが南方熊楠です。

大正10(1921)年2月、雑誌『太陽』に連載中の「十二支考 鶏に関する伝説」に、サンティアゴ巡礼道や熊野古道、サンチアゴ大尊者についての論文を掲載します。

熊楠の文は、あちこち話がとぶので、現代人には分かりにくいと思いますので色分けします。

赤は鶏にまつわる話で、サンティアゴ巡礼中の若者が、サンドミンゴ・デラ・カルサダで冤罪で刑死し、生き返った話。青はその別のバージョン。
紺(紫)はサンティアゴ(十二使徒の大ヤコブ)と、コンポステーラの名の由来。
ピンクはサンティアゴと杓子貝の話。
※サンティアゴ・デ・コンポステーラでは、巡礼者らが巡礼の印としてジェームズホタテPecten jacobaeusの殻を荷物などにぶら下げたり、それを象ったバッジを付けたりする。wikiより

◎十二支考 「鶏に関する伝説」 平凡社『南方熊楠全集』2巻 P432~434
 耶蘇教国にもややこの類の話がスペインにある。昔青年あり老父母とサンチアゴ・デ・コムポステラへ巡礼に出た。サンチアゴ(英語でセント・ジェームス、仏語でサン・ジャク)大尊者はキリストの大弟子中、ペテロについだ勢力あり。その弟、ジョアンとともにキリストの雷子と呼ばる。のち殉教に臨みこれを訴えし者、そのひととなりに感動され、たちまちわれもまたキリスト教徒なりと自白し、伴い行きて刑に就く。途上尊者に向い罪を謝し、共に斬首された。この尊者かつてスペインに宣教したてふ旧伝あって、835年にイリアの僧正テオドミル、奇態な星に導かれてその遺体を見出してより、そこをカムポ・ステラ(星の原)、それが転じてコムポステラと呼ばれたという。 コムポステラの伽藍に尊者の屍を安置し霊験灼然とあって、中世諸国より巡礼日夜至って、押すな突くなの賑わいいはげしく、欧州第一の参詣場たり。因ってスペイン人は今も銀河(あまのがわ)をエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ。これ『塩尻』巻46に、中古吉野初瀬詣で衰えて熊野参り繁昌し、王公已下(いか)道者の往来絶えず、したがって蟻が一道を行きてやまざるを熊野参りに比したとあり。今も南紀の小児、蟻を見れば「蟻もダンナもよってこい、熊野参りにしょうら」と唱うるは、昔熊野参り引きも切らざりし事、蟻群の行列際限を見ざるようだったに基づく。それと等しく銀河中の星の数、言語に絶して夥しきを、サンチアゴ詣での人数に比べたのだ。そのサンチアゴ・デ・コムポステラへ老父母と伴れて参る一青年が、途上サンドミンゴ・デラ・カルザダで一泊すると、宿主の娘が、一と目三井寺焦るる胸を主は察して晩(くれ)の鐘と、その閨に忍んで打ち口説けど聞き入れざるを恨み、青年の袋の内へ銀製の名器を入れ置き、彼わが家宝を盗んだと訴え、青年捕縛されて串刺しに処せられた。双親老いて若い子の冤刑に逢い、最も悲しい悲しさに涙の絶え間なしといえども、さてあるべきにあらざれば志すサンチアゴ詣でを済まし、三人伴れて出た故郷へ二人で帰る力なさ、せめて今一度亡児の跡を見収めにとサンドミンゴに立ち寄ると、確かに刑死を見届けたその子が息災で生きいた。これ全くサンチアゴ大尊者の霊験、世は澆季(ぎょうき)に及ぶといえどもと、お定まりの文句で衆人驚嘆せざるなし。所の監督食事中この報に接し、更に信ぜず。確かに死んだあの青年が活き居るなら、ここにある鶏の焼き鳥も動き出すはずと、言いおわらざるに、その鶏たちまち羽生え時を作り、皿より飛び出で遁げ去った。やがて宿主の娘は刑せられ、この霊験の故に鶏を神使と崇め、サンドミンゴの家々今に鶏毛もて飾らるという事じゃ(グベルナチスの『動物譚原』2巻283頁。参取。『大英百科全書』15巻135頁。24巻192頁)。
 サウシーの『随得手録』三輯記する所はやや異なるなり。いわくサンドミンゴ・デラ・カルザダで一女巡礼男に据え膳を拒まれた意趣返しに、その手荷物中に銀の什器を入れ窃盗と誣告す。その手荷物を検するに果して銀器あり。因って絞殺に処せられ、屍を絞架上に釣り下げ置かる。かの男の父、その子の成り行きを知らず、商いしてここへ来ると、絞台上から子が父を呼び留め、仔細を語り、直ちにその冤を奉行に報ぜしむ。奉行ちょうど膳に向い、鶏、一番(ひとつが)いを味わわんとするところで、この鶏復活したらそんな話も信ぜられようと言うや否や、鶏たちまち羽毛を生じて起ち上った。大騒ぎとなってかの男を絞架より卸したとあれど、そのしまいは記されず。ただしその絞架を寺の上に据え、その時復活した白い雌雄の鶏を祭壇の側にやしのうたが、数百年生きていたと。サウシーの『コムポステラ巡礼物語』はこれを敷衍したものだ。件のサンチアゴ大尊者は、スペイン国の守護尊として特に尊ばれ、クラヴィホその他の戦場にしばしば現われてその軍を助けたという。
 カムポステラに詣で、これを拝する者は、皆杓子貝を佩ぶ。その事日本の巡礼輩が杓子貝を帯ぶるに合うとは、多賀や宮島に詣る者、杓子を求め帰るを誤聞したものか。英国にも杓子貝を紋とする貴族二十五家まであるは、昔カムポステラ巡礼の盛大なりしを忍ばせる。
 昔この尊者の遺体を、大理石作りの船でエルサレムよりスペインへ渡す。ポルトガルの一武士の乗馬これを見、驚いて海に入ったのを救い上げて見ると、その武士の衣裳全く杓子貝に付き覆われいた。霊験記念のためこの介を、この尊者の標章とする由。英国ではこの尊者の忌日、7月25日に牡蠣を食えば年中金乏しからずとて、価をおしまずこの日売り初めの牡蠣を食い、牡蠣料理店大いに忙し。店に捨てた多くの空殻を集めて小児が積み上げ、その上に蝋燭をともし、行人に一銭を乞いてその料とす。定めて杓子貝に近いもの故だろう(チャンバースの『ブック・オヴ・デイス』2巻122頁。ハズリット『諸信および俚伝』2巻344頁)。


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洋373.07 'The book of days vol.2' Robert Chambers P121
平凡社版『南方熊楠全集』2巻P434のサンチアゴ大尊者(十二使徒の大ヤコブ)の図のもととなった図版が載っている。
このページには、しおりがはさんであったり、字を書き込んだりしている。

今から100年も前にサンティアゴ・デ・コンポステーラと熊野古道のことを記した熊楠。
まさか100年後に田辺市とサンティアゴ・デ・コンポステーラ市が観光協定を結ぶとは思ってもいなかったでしょう。
いや、予想していたのかな?



【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2014-05-16 15:57 | その他

南方熊楠全集のある書斎  

研究者の間で話題?になっています。

11月7日の新聞各紙の広告に、積水ハウスの「木製住宅シャーウッド」の全面広告が掲載されていますが、書棚右から2列目最下段に『南方熊楠全集』が並んでいます。
みなさん、気づきました?

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うちの書棚とは大違いだ。。。



【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2013-11-09 09:41 | お知らせ

自然とともに 小林陽光展 IN 東京成城  

こんな展示が成城であるようです。

~柳田國男(民俗学)・南方熊楠(命をかけて自然を守った人)・小林陽光(自然表現)の世界展~
会期:10月6日(日)~8日(火) 
時間:10時30分─18時(初日11時から、最終日17時まで)
会場: 緑蔭館(柳田國男邸) 世田谷区成城6-15-13 
ギャラリー: 03-3484-2677

6日
17時~ 作品鑑賞と陽光短歌作詞演奏会
18時~ 特別企画パーティー※会費制 

会期中15時~作品鑑賞とお名前筆文字指導

※南方熊楠顕彰館、南方熊楠顕彰会のイベントではありません。
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by kumagusu-m | 2013-09-16 09:20 | お知らせ

2月臨時休館のお知らせ  

毎年この時期に資料整理のため休館日を設けていますが、今年の休館日は下記のとおりとなります。

休館日
2月4日(月)~12日(火)

歴史民俗資料館が新しくなり、いらなくなった展示ケースをいただくことにしました。
おそらく4台あるのですが、そこに資料を並べ、展示機能を充実しようかなと考えています。

【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2013-01-24 18:09 | お知らせ

田辺市立歴史民俗資料館開館!!  

12月1日、長らく休館しておりました田辺市立歴史民俗資料館が田辺市文化交流センター・たなべるの2階に新規オープンしました。

まだホームページができていないようなので、ちょっと写真を紹介します。
撮影は禁止されていますが、同じ部署なので。。。。。。
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熊楠もいますよ~


企画展示室では「安藤小兵衛家の文化財」12月27日まで開催中!!

江戸時代に紀州藩の付家老であった安藤帯刀家の従兄弟にあたり、帯刀家に代わり田辺を治めた安藤小兵衛家に残されてきた貴重な資料を特別陳列しています。
期間:12月1日(土)~12月27日(木)
場所:企画展示室


歴史民俗資料館ホームページ
紀伊民報記事

【くまちゃん】
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by kumagusu-m | 2012-12-02 11:19 | お知らせ