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藤木邸が更地になりました  

熊楠が現南方邸へ転居する前、明治43(1910)年~大正5(1916)年まで住んだ家は、藤木八平の持ち家であったため、便宜上藤木邸と呼ばれます。現南方邸の向かい側にあったのですが、つい最近まで風情のある家が建っていました。もちろん熊楠が住んでいた当時の家ではなかったのですが、蔵もあり立派なお宅でした。この度そのお宅が取り壊され、更地となりました。
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藤木邸跡 この敷地の一角に熊楠が住んでいました。

柳田国男や河東碧梧桐が訪ねたのはこの藤木邸で、碧梧桐は熊楠を訪ねた折、「木蓮が蘇鉄の側に咲く所」という句を熊楠の日記に記しています。
取り壊す前に入れてもらったのですが、残念ながら木蓮、蘇鉄は残っておらず、切り株も発見できませんでした。
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   碧梧桐の俳句
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   藤木邸での熊楠一家





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by kumagusu-m | 2016-03-09 15:37 | ゆかりの地

名勝 南方曼陀羅の風景地  

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昨日(平成27年6月19日)、熊楠ゆかりの地が「南方曼陀羅の風景地」として国の名勝に指定するよう、国の文化審議会が文部科学に答申しました。官報の告示を経て、正式に国の名勝となります。

●名勝 南方曼陀羅の風景地
神島、鬪雞神社、須佐神社、伊作田稲荷神社、継桜王子、高原熊野神社、奇絶峡、龍神山、八上神社、田中神社、九龍島、金刀比羅神社、天神崎の13箇所。

詳細はこちら
youtubeはこちら




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by kumagusu-m | 2015-06-20 09:14 | お知らせ

第38回南方を訪ねてin近露 参加者募集   

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 南方熊楠顕彰会では、熊楠が調べて歩いた熊野の山々や、ゆかりの地やゆかりのモノを訪ねる探訪イベント「南方を訪ねて」を毎年実施しています。
 第38回となる今回は、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10周年を迎えたこともあり、「牛馬童子」から、神社合祀で共闘した野長瀬兄弟の生家、反対運動の甲斐なく皆伐された近露王子跡、わずかばかりですが神社合祀反対により、鎮守の森(野中の一方杉)が残った「継桜王子」までを歩きます。

【募集要項】
◎主  催:南方熊楠顕彰会
◎日  程:平成26年11月16日(日)
◎行  程:牛馬童子~継桜王子
参加費は弁当・資料・オリジナル手ぬぐい付きで2000円!!

詳細はこちら

申し込みはお早めに!!
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by kumagusu-m | 2014-10-08 10:59 | 展示・イベント

田辺祭・闘鶏神社  

田辺祭は450年余の歴史を持つ闘鶏神社の例祭で、毎年7月24日、25日に行われます。
この祭は、旧城下の各商人町から8基の「おかさ」と言われる、京都の衹園祭のような笠鉾が町中を練り歩く、田辺を代表する紀南地方最大の祭礼です。

ご存じの通り、熊楠の妻松枝の父田村宗造が宮司を務めた神社です。
また、源平合戦の時、熊野水軍が紅白の鶏合せにより源平どちらにつくか占った神社といわれ、その故事から、明治維新まで新熊野鶏合権現と称し、後に闘鶏神社と改称されました。

熊楠の日記を拾ってみましょう。
明治43(1910)年の日記です。
ちなみに、田村宗造は前年に死去しています。

明治43年7月25日 [月] 晴
午下起く。午後松枝ヒキ六下女浜へお傘見に之、予留守番す。夜南新町より海蔵寺町を経、湊通りより闘鶏社に之、祭を見る。それより旧宅に帰る。而して又出、今福町より南新町に之、江川等のお傘帰るを見る。それより油岩に之、ビール飲。十一時過喜之瓢帰りおそき故、社道迄見に之。喜之瓢、ナラ公、イサ公狐に蠱せられし如き風にて荷車尋ねおる。因てナラ公と共に探るに、喜之瓢之を鈴木融氏近所にて見出し呼はる。因てナラ公(荷車ひく)共に油岩に之、帰る。それより新宅に之、臥す。三時頃なり。

熊楠も祭りを見に行っていたんですね。
南方邸に残っていた写真を紹介します。現在は顕彰館の収蔵庫に保管しています。
今のところいつ採ったのか、はたまたもらったのか分かりませんが、かなり昔の写真です。
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どこの通りかさっぱりわかりません。
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闘鶏神社馬場
闘鶏神社の鳥居が木製です。
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南新町
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本町
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福路町?
福路町のお笠は日本武尊で、現在は2代目。
これが初代?
福路町の方情報求む。
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栄町
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片町?
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江川町
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by kumagusu-m | 2014-07-25 12:28 | ゆかりの地

西八王子宮  

西八王子宮
 東八王子社が、明治6年上ノ山東神社と改め、明治40年に出立神社(出立王子)、八幡神社を合祀、稲荷神社を移し、八立稲神社と社号を改めました。さらに明治42年には上ノ山西神社(西八王子)を合祀しました。

 この西の王子の場面に登場するのが、「兵隊帰りの植芝なる豪傑」で、それは西の王子の近くに住んでいた若き日の植芝盛平と思われる。日露戦争に従軍したのち大阪の連隊にいた植芝は、長男なので除隊させてほしいという父親の頼みで、1906年に郷里に帰り柔道の道場を開いていた。当時、植芝はまだ二十代後半であった。
 当町近所西の谷村も社費の件に付き多数は不納説、少数(金持ち連)は利益上より(海藻を取る)今年のみ納むべしとの争いの所ろ、兵隊帰りの植芝なる豪傑の為に打負け不納に決し、小守重保氏に頼み復旧請願書認め中なり。    
(西面欽一郎にあてた1911年1月25日付の手紙)

 後年、合気道の開祖として知られるようになった植芝は、自分が若いころ神社合祀反対運動に参加し、熊楠のもとで奮闘したと語っていたことが多くの伝記に記されているものの、その詳細は明らかでない。1950年ごろ、茨城県岩間に住んでいた植芝をプロレタリア文学者の貴司山治が訪ねたことがある。その時、植芝は、熊楠と自分は「熊よ」「盛平よ」という刎頸の間柄で、二人とも「田辺の町のにくまれ者だった。しかし乱暴なのは五十人力の私よりも学者の熊の方だった」と語ったという(乾元社版全集月報3)。

 1912年1月5日には、熊楠は西の王子の「復社祭り」に招待されている。出席しなかったら、翌日、祭礼のご馳走と鏡餅がとどけられたと日記にある。餅は翌年の祭礼日にもとどけられている。
「南方熊楠 梟のごとく黙座しおる」(飯倉照平著)


 刎頸の間柄と植芝はいいますが、現在のところ、熊楠が植芝について語っているのは後にも先にもこの部分のみです。これらは植芝が大成してから語ったことで、真実味に乏しいものです。

※詳細はこちら

 さて、この西八王子宮ですが、熊楠は「西ノ王子」と呼んでいます。
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 2011年5月にはこんな感じでしたが、
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2014年にはこのように左側(南側)斜面の木が地滑り防止工事のため切り払われました。
 ちょっと角度が違うので分かりにくいかもしれませんが、かなり展望が良くなっています。
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 遠くから見ればこんな感じです。
 ちなみに文化財には指定されておりません。
 麓に人家が密集していますし、人命には代えられないでしょう。
 植芝の実家跡もこの麓にあります。

 しかし、伐採されたことにより、いいことがありました。
 熊楠が神社合祀反対運動の際、写真を撮らせたポイントから撮影できるようになったのです。
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 これが熊楠が撮らせた写真です。
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 そして、これが2014年7月現在の写真です。
 どうです?
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 検証写真
 合成してみました。ぴったりでしょう。
 神社の麓は埋め立てられています。また、山がなくなり市営住宅が建っています。
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 写真裏書
 十四 南方二書十九―二〇頁
  西牟婁郡西ノ谷、西ノ王子合祀跡より田辺
  湾を隔てて瀬戸岬を望む、絶景の地なり。
  右辺の密林ある岬は、目良の王子跡なり。これも
  滅却され、さんざんに濫伐さる。此辺より曲玉等出し
  も散佚す。
  この合祀跡も今に合祀前きの社へ一人もまいらず。
  坊主に経よませ祭典し居る。委細は「二書」で
  見られ度候。

 別バージョンの写真
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現在
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検証

 ちなみに熊楠が「田辺湾を隔てて瀬戸岬を望む」と記しているのは、塔島、番所の崎のことです。
 結構良く写ってますね。





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by kumagusu-m | 2014-07-01 17:18 | ゆかりの地

熊楠と神島  

6月1日

この日は熊楠が最初に神島(かしま)へ上陸した日です。

1902(明治35)年6月1日の日記には、
「朝多屋勝四郎氏来り、共に鹿(〔神〕)島に舟遊、予昨夜の宿酔にて身体しつかとせず、木耳等少々とるのみ。」
と記しています。

また、1929(昭和4)年には、昭和天皇へのご進講・ご進献がありました。
ご進講・ご進献はお召艦長門で行われましたが、熊楠が昭和天皇とご対面したのが神島です。

そして、1930(昭和5)年。
昭和天皇の行幸を記念して神島に建立された歌碑の除幕式が行われました。

いずれも6月1日のことです。

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ゆかりの地神島



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by kumagusu-m | 2014-05-31 09:21 | ゆかりの地

ゆかりの地に滝尻王子追加!!  

盛り上がっているのかな?
今年は「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて10周年です。

ということで、南方熊楠顕彰会のホームページ「ゆかりの地」に滝尻王子を追加しました。
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滝尻王子
ゆかりの地はこちら
滝尻王子はこちら
南方熊楠顕彰館ホームページにもリンクを貼っています。


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by kumagusu-m | 2014-05-17 14:07 | ゆかりの地

兵生  

2014年1月24日
 田辺市中辺路町兵生の調査に行ってきました。
 「ひょうぜい」ですが、「ひょうぜ」という場合もあります。

 兵生は富田川の最上流にあった集落で、明治22年までは、戸数35戸、150人ほどの村で、その後二川村となり、昭和21年に中辺路町となりました。昭和49年には過疎化のため集団移住し、今は誰も住んでいません。

 熊楠は明治43年と昭和4年の2回この兵生を訪れています。

 昭和4年は門弟の小畔四郎の採集につきあっただけで、2泊3日で引き揚げていますが、明治43年は11月13日から12月24日まで長期に渡って滞在し、植物採集をしました。
 小畔には「坂泰官林の近くに人家は一軒もない。一里半か二里ほど下流に集落はあるが旅客を泊めるような家は一軒もない」と手紙を書き、明治期に宿泊した西氏宅を紹介しています。熊楠が西氏方に泊まるようになったのは、採集に当たり手引きしてくれた西面(にしお)欽一郎氏の奥さんの実家であったためで、明治43年の採集では、西氏宅に一泊した後、さらに山中深く入り、安堵山のふもとの野川原にあった鈴木製板所の一隅を借りています。

 兵生での熊楠の収穫は熊野丁字ごけをはじめ、粘菌、菌など予想以上のものでしたが、民俗、風習、伝説などでも得るところが多く、後年柳田國男に。『遠野物語』に似せた『兵生物語』を書いて世話になった家へ残してきた、と述べていますが、この『兵生物語』は今日所在がわかりません。

〇南方熊楠日記3(八坂書房より)   
明治43(1910)年
11月13日(日)晴
西面氏と共に立出、・・・予は西面氏と共にすゝみ、つり橋渡るに西面氏予の手引てくれる。兵生に至るに大崩れ辺陰悪呆るゝ斗り也。村に入り一家にて粥食せもらひ、西氏宅に往ば黄昏也。夜西氏来話す。入湯後臥す。
西氏座敷の床の間棚に、天照大神、八幡、春日三神の像及辞、予の舅田村宗造氏筆也。
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中央右寄りに地下とありますが、ここが西氏の家のあった西垣内地区です。
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西垣内地区
この一軒だけが家屋の形をとどめています。
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時の流れに逆らえず朽ち果てた家
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五右衛門風呂
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家の基礎らしきものは各所に残っていますが、移住する際に植えたとされる杉の木が伸びています。
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少し離れたところにある兵生春日神社
集団移住して誰も住まなくなってからも、大事に祀られています。
中辺路町誌によると、熊野の西氏は清和源氏武田氏の流と伝わっているようで、大塔の宮熊野落ちのとき案内にたったとのことです。

11月14日(月)晴
朝九時頃西氏を出、西面氏と出張所にゆく。予一人近所の谷を歩み菌苔蘚少し採る。
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鈴木製板所方面
この先、工事中で通行止めでした。

11月15日(火)半晴、夜雨
ギボン羅馬史を読む。

11月17日(木)雨、午後霰雪少しふる
終日在寓、標品整理。・・・夜ギボン読む。コンスタンチン帝一統に至る。

兵生滞在中、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をよく読んでいたようです。

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『ローマ帝国衰亡史』
The history of the decline and fall of the Roman Empire
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表紙がボロボロです。
もちろん熊楠の蔵書です。
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中はそこそこ綺麗です。

11月21日(月)快 暖
朝七時過起、九時半頃寓を出、伊藤半兵衛といふ杣人案内にて安堵峯に登る。絶頂に登り、飯くひ、右の老人一寸一睡の間予歩きまはる。
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安堵山
頂上は植林されていません。
果無山脈を構成する山です。中央下のすじは広域基幹林道龍神本宮線。
実は安堵山は果無山脈最高峰の冷水山とともに奈良県十津川村です。
普通は果無山脈の尾根づたいに県境がありそうなものですが。。。

柳田国男宛書簡 (明治44年4月22日付)
(前略)
西牟婁郡兵生(二川村の大字、ここに当国第一の難所安堵が峰あり、護良親王ここまで逃げのびたまい安堵せるゆえ安堵が峰という、と)、ここにて聞きしに、むかし数人あり、爐辺におりしに、畏ろしさに耐えずみな去り、一人のみ残る。婆来たり、米三升炊げ、という。よって炊ぐうち、熊野道者来たりければ、右の婆大いに惧れ去る。道者右の人を導き安全の所に至らしめ、右の婆は山婆にて米炊ぎ上がった上、汝を飯にそえて食わんとて来たりしなり。われは熊野権現、汝を助くるなりとて去りしという。この話、朦朧として分からねど、かかる話、他国にもあるよう記臆致し候。
 この安堵が峰にいろいろの談あり。みな些断のものに候。兵生の松若とて、生きながら山に入って今に死せぬもののことを伝う。その宅址という地もあり。松若、少小より山中に入り、鹿などをとり生食す。身に松脂をぬり、兵刃荆棘傷つくること能わず、ついに山に入って家に帰らず。人山を行って薯蕷が何の苦もなく地より深く抜き去られたるを見て、その存在を知る。最後に山に入るとき、「もし大事あらば多人数大声にわれを呼べ、われまさに千人の力をもって援助すべし」とのことなり。あるいは言う、有田郡に小松弥助とて平維盛の裔あり。松若その家に遊べり、と(この間非常の深山重畳せり)。明治十二年ごろ、当郡富田村のシャ川という所の僧、兵生にゆき、村社に籠り七日断食し、時々生瓜などを食らうのみ。さて、われ今日松若を招かんとて安堵が峰を望み、「松若やーい」と呼び、村民一同これに和して呼ぶ。婦女、小児は、松若来たるとておそれ、戸を閉じて出でず。件の僧、安堵が峰に今松若現われたり、それそれそこに見えるなどいう。終日呼べども、終に下り来たらず。僧、悲憤、村に帰り死せりという。そのとき大呼せし人、今も存せり。
 『南方熊楠全集 8』(平凡社)より       
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熊楠が飯を食ったという安堵山頂上

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上の2枚の写真は、以前撮影したものです。
今は工事中で兵生から安堵山(龍神本宮線)には行けません。
もともと、安堵山には龍神からの方がアクセスしやすいです。
冬季は通行止めにご注意。

11月26日(土)晴
朝菌二種画く。十二時後、松本勝と山を踰え坂泰官林に居る。西面氏後れ到る。其より山続きに丹生川に趣く。道甚危ふし。途上別に得る所なし。松本氏鼯鼠(むささび)一疋打とる。其尸杉幹穴中に陥りとり出すこと不成。着すれば昏し。入湯の上、西面氏叔父方に宿す。松本氏より野猪肉もらひ食ふ。

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坂泰山国有林の入口です。

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全て植林されているのかと思ったら、かなり自然林が残っています。

11月27日(日)晴
朝飯後西面氏一族と丹生川神社合祀跡の祠を見る。それより西面氏父方にゆき小談し、宿所へ帰り、午飯後、松本、西面、鈴木三氏と生兵製板所へ帰る。途上松本氏サルスベリの木に上り、昨日所銃の鼯鼠取る。坂泰の谷間にて粘菌類等多少とる。

12月10日(土)晴 夜雪
十二時過より鈴木氏と千畳谷に之く。入口より同氏は去る。予晩く迄探し歩き、遂に樅の枯株より熊野丁子蘚六個迄見出す。鈴木氏の咳声をきゝ之に応じ、鈴木氏来る。(是迄同氏柳桜と云所にて丁子蘚捜せしも無りし也。)千畳谷
千畳谷はたぶん千丈谷のこと。
千丈山はありますが、千丈谷は地図上になく、どこの谷かは分かりません。
クマノチョウジゴケは学名をBuxbaumia minakatae Okam. といいます。
キセルゴケ科の蘚です。
minakataeとあるように、発見者である「南方」の名前が入っています。
Okamは岡村周諦です。

1908年12月1日(火) 晴
朝八時頃武住の大黒屋出立、大瀬にてナガエノアヲツヾラフヂを見る。茎如此まきあり。又八丈シダとる。平井川谷にて、前田富蔵四五人つれ田辺より来るにあふ。帽菌二三、粘菌二三とる。朽幹の僵れたるに附るBuxbaumia少々・・・

1910年5月9日(月) 晴
夕岡村周諦氏ハガキ一受。予一昨年十二月一日野中村拾ひ子谷所集蘚新種にBuxbaumia Minakatae Shu. Okam.と命名、近日植物学雑誌で披露の由申来る。北米産B. Piperi Best.に最近き由、又本品は既知種に比して柄甚短く、胞子は既知の最も大なるものゝ二倍以上も有之候云々。

平井川谷、拾い子谷は地図上にありません。

12月11日(日)晴、雪積り氷柱多し、夜大風
夕滝尾谷南側の山腹等を歩む。丁子蘚二顆を得、前後是で十一となる。此如く細き蘚に実少々つけるをとる。夜臥内ギボンを読。

12月12日(月)雪
朝七時頃鈴木達三氏秋津へ帰らんと拵える内大雪、終日多少ふり止まず。
三時過より滝尾谷を上る。途上熊野丁子蘚一とる。是にて十二顆也。

12月15日(木)快 暖
朝十時過起く。十二時より西面氏弟導氏に案内され千石谷に遊ぶ。氏は道中より帰る。

12月18日(日)快 暖
朝十時過起き、午後カドの谷にゆき熊野丁子蘚一つ見出す。それより谷を出、滝尾の上の木小屋迄ゆく。帰れば黄昏也。

12月19日(月)晴
午下起く。午後安堵谷にゆき、紅カヤランを捜すに少々得、又丁子蘚一つ得、是にて十四箇也。

12月21日(水)陰
朝獾(あなぐま)の肉食ふ。
松本勝来る。午後共に滝尾谷を歩し、道作りくれ同人は去る。予丁子蘚多く見出し、西面氏弟呼び、共に四十六箇とる。西面妻君も来り見る。前日来とりし処と合して六十箇也。

12月24日(土)晴
荷物片付け西氏へゆく。

12月25日(日) 
此日西氏方に臥す。夕(?)三人来り話す。予は咳気に当りしならんといふ。

12月26日(月) 
朝西面氏、津本氏二人と西氏宅を出立、福定より大川に出、ハリカネ橋を二人予の前後になり手をひきてわたる。栗栖川に至る前、津本氏は他へとまり、予は西面氏と紅葉屋に宿す。


最後に兵生の様子を
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小串にある小督司を祀る小祠
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かつてのご神木でしょうか立派なクスノキ?がありました。
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棚田もしくは段々畑に植わる杉
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兵生分校
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朽ち果てた百葉箱
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これもかつて校庭だったことを物語っているタイヤ
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おっ明星のyoung song!!
しかも表紙はジュリー

※所有者がいますので、マナーを守りましょう。
落書きしたり、ゴミを捨てたり、家財道具を持ち去ったりするのはもってのほかです。

第38回月例展 熊楠とゆかりの人びと第21回 西面欽一郎・賢輔兄弟
会期:平成26年2月8日(土)~3月16日(日)

で、この調査の成果は出るのか?
乞うご期待!!



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by kumagusu-m | 2014-01-30 11:34 | ゆかりの地

龍谷大学見学  

京都出張で松居先生と打ち合わせ後、龍谷大学大宮学舎を案内していただきました。
龍谷大学の大宮学舎には、
本館(附:石造正門、渡廊下)
北黌
南黌
守衛所
の重要文化財があります。
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正門と本館
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南黌
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北黌
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本館学長室
熊楠との関係でいえば、交流のあった妻木直良が卒業し、教鞭もとっていました。


何をしに京都へ行ったかって?
それはまだ秘密




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by kumagusu-m | 2013-05-27 22:35 | 見学

栂尾山高山寺  

栂尾山高山寺に行ってきました。
ここは、後に高野山真言宗管長となった土宜法龍が住持を務めたことがあります。

土宜法龍は、熊楠がいわゆる「南方マンダラ」を書いた相手で、高山寺には多数の国宝と共に、土宜法龍宛南方熊楠書簡が保管されています。
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国宝の石水院
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明恵上人の墓
高山寺の創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。
その明恵上人は和歌山の有田川町出身とのことです。


高山寺蔵 南方熊楠書翰
土宜法龍宛 1893-1922



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by kumagusu-m | 2013-05-26 23:05 | ゆかりの地