『南方熊楠と牟婁新報』展開幕!!
2010年 03月 20日
ご担当いただいた方々に深く敬意を表します。
特にほぼ監禁状態で頑張っていただいた、T先生、Y先生、I先生お疲れ様でした。
ということで、本日、無事開幕いたしました。
展示会場はいつもの様に学習室です。
入口を入ると「ごあいさつ」コーナーです。
熊楠が出迎えてくれます。
『牟婁新報』の説明と柴庵、熊楠と柴庵の交流を簡潔にまとめています。
・毛利柴庵筆・俳句
・南方熊楠と毛利清雅の名刺
・毛利清雅宛・封書(投函されなかったもの)
・毛利著作:『獄中の修養』、『紀州田辺湯崎温泉案内』、
『紀州田辺名勝旧蹟附近温泉案内』、『皇室と紀伊』
などが並んでいます。
『牟婁新報』が歴史上注目される理由の一つに、記者、寄稿者として明治期の著名な社会主義者らが関与しており、大逆事件の関係者もいたということが挙げられます。柴庵が堺利彦に紹介を依頼し、荒畑寒村、管野スガらが来田しました。田辺に来ることを「来田」といいます。
展示ケースには
・南方熊楠日記
1908(明治41)年
・南方熊楠宛成石勘三郎書簡
などが並んでいます。
熊楠は川島草堂に紹介され、成石平四郎(大逆事件で死刑)と面識がありました。熊楠が平四郎について日記に書いている部分を複製で展示し、解説しています。
もちろん成石平四郎も『牟婁新報』に寄稿しています。
メインコーナーです。
熊楠は1909(明治42)年9月27日付の同紙に掲載された「世界的学者として知られたる南方熊楠君は如何に公園売却事件を見たるか」という記事の中で、はじめて神社合祀反対意見を公にしました。以後、熊楠は牟婁新報を主な寄稿先として、神社合祀反対の論陣を張ることになります。さらに、神社合祀が一定の決着をみた後も、熊楠は、製紙工場の設立や湊村の合併など、自身が暮らす地域に生じた諸々の問題について、自らの見解を公表するためのメディアとして牟婁新報を利用しています。
・南方熊楠日記 1916(大正5)年
・毛利清雅・封書、葉書
・柳田國男・封書
・柳田国男所蔵切抜帳(熊楠の記事を切り抜いたもの)
・『牟婁新報』切抜巻物(雑賀貞次郎)
などが展示されています。
また不二出版発行の『牟婁新報 復刻版』も全巻揃えています。
復刻版がでたおかげで、南方熊楠全集にも載っていない記事も見つけることが出来ました。
①平凡社版『南方熊楠全集(以下全集)』に収録
②『全集』の著作目録に未掲載
③『全集』の著作目録に掲載されているが、本文は未収録
④筆者を明示しないが、南方筆またはこれに準じる(話題・材料提供など)
と推定される記事
の4つに分け、わかりやすく表にしています。
未掲載の記事を『復刻版』で読んでみてはいかがでしょう?
閲覧コーナーも設けています。
和歌山と田辺の新聞の歴史を振り返り、熊楠の『牟婁新報』以外の新聞への掲載記事を紹介しています。
展示ケースには、田辺発行の新聞6紙。
『牟婁新報』
『紀伊新報』
『田辺新報』
『牟婁報知』
『熊野太陽』
『紀伊半嶋日々』
の原紙などを展示しています。
また、株式会社紀伊民報様より、かつて使用していた活字をおかりし、展示しています。
『海南時報』
熊楠の寄稿「鶏の話(一)」(1909. 1. 1)および「桜島爆発の余響(二)」(1914. 1. 18)を掲載
『日刊不二』
「田辺通信」の一遍(鹿児島の桜島噴火とその余波を田辺でも感じた体験談)を掲載。
『牟婁新報』復刻版
会場レイアウトはこちら
【くまちゃん】
by kumagusu-m | 2010-03-20 20:34 | 展示・イベント